佐渡金山にて。

Blue eye's

2012年06月23日 12:45



有難い事に日本各地を見て回れる幸せ。この上ない喜びとなり、自分自身の知識の糧となる・・・私は幸せだ。。。

佐渡金山に行ってきた。室町時代より何らかの鉱物が採れる事が分かっていたようだが、1601年に本格的な金鉱石の採掘が始まった。戦乱の世に終止符が打たれ、時代は天下泰平、徳川幕府に入った翌年になる。天領になり厚く徳川に保護され財政を支えていた。日本各地に金山は存在していたがここ、佐渡の産出量は圧倒的なものだった。意外にも閉山は1989年の平成元年。その間、388年間に及び採掘は続き、金78t、銀2330tが産出鋳造されていたのだ。色々文献を調べたら、83tとも言われていますが、正確な産出量は幕府に内緒にしていた「埋蔵金」として把握できないというのが定説です。

黄金の国、日本。近年話題なのが、鹿児島の菱刈金山です。岩石1トンあたりの金の含有量が46g/tで世界1です。普通の金山が約5g/t~10g/tですから、その凄さは分かりますな。

さて、金山といえば佐渡を思い出しますが、佐渡で産出された金の合計は79t(最新では83t)でした。この菱刈金山は平成9年に累積産出量83.1tで佐渡を抜き日本一に。推定埋蔵量は260tと見積もられているようですな。最近の研究で佐渡金山の金の含有量は100g/tだったとさ抜群の金含有量だったようだ。(鉱山会社に技師として勤めている叔父に聞いた話しだから間違いないはず)

でも、トンで言うとイメージが湧きませんね。で、イメージが湧くように・・・。人類の金の発掘の歴史。6000年間に掘った金の総量が、16万1000トン。。。これでも実感わきませんな。体積で見ると、東京・代々木にあるオリンピック・プールの約3杯分でしかないのです。しかも、世界の推定埋蔵量は残り7万トンと言われており、年間の産出量はおよそ2200トンから3000トン程度と見積もられていますから、あと20年ほどで金は掘り尽くされてしまう計算になりますが・・・

日本は幾つものプレートが入り組んだ上に存在している「山」なので地下の鉱物資源が他の国に比べ豊富にあるはずなのですが、海外依存から脱却できずにいるのは大変残念な事でもあるのです。

ワタシ的には、このような機会が無ければ突き詰めて調べ上げる事も無いでしょうから、知るというのは楽しいもんでだ。。。ワクワクしますな。

さて、この文章を読んだ皆さんは、日本における金採掘の歴史をササッと垣間見る事が出来たわけです。金を扱っている方、そうで無い方も金は人間の手で地中深くから掘り出される金鉱石から精製・鋳造される事を是非、思い出して下さいな。


ではでは、佐渡金山の画像などを紹介しましょう。

まずは新潟港からフェリーとジェットフォイルで向かう方法がありますが、今回はジェットで・・・サスガやな、ボーイングだ。速かった。

















佐渡金山には2つの坑道が整備されていて見学が可能。良くある観光施設かな・・・と思っていたら、とんでもない設備と資料数で圧倒された。是非、お勧めします。

















































坑道内は肌寒く真っ暗。江戸の頃は蝋燭の明かりか油などを使うのがせいぜいだろうから、岩石の判別には慣れていないと出来ない専門職だと肌で感じます。

江戸の頃の採掘風景が再現されています。余計な音楽が流れてなくて静けさと石鎚の音が坑道内に響いています。

















当時の休憩場所。交代制ではあったようですが、地上に出られる事は滅多に無かったようです・・・

















金鉱脈が坑内で発見されると、「やわらぎ」という神事が執り行われたようです。とても神聖な雰囲気で山師達の強い信仰心が伺えます。金鉱脈は白い部分と黒い筋のある場所で、それを背に歌を歌うのです。

















そして、資料館では採掘から金貨になるまでを細かく紹介しています。当時使っていた道具なども・・・佐渡金山は歴史上、爆薬を一度も使わずに採掘をしていました。江戸の頃は画像のようなノミ、玄翁(ハンマー)、鏨(たがね)など、手掘りだったのです。

















そうして採掘された金鉱石がこれだ。

















佐渡金山の金鉱石は「銀黒」と呼ばれていて石英(白い石)に黒い蛇のような筋が通っているのが特徴で他の産地とは明確に違うようで天領だった伊豆の土肥金山は真っ黒い石が多いようです。

















そして、私が坑内を歩いていた時につまずいた石があったので記念にと・・・持ってきたのですが。あれ?銀黒?でも判断しかねるので知人の鉱物学専攻の友人に見てもらうことにしました。それがこの石。






































手渡す時友人が「おっ、これどうした?」と聞いたので「拾ったんだよ」と言うと・・・
「そんな事は分かるけど、どこで?」
「佐渡」
「これ銀黒っぽいね」と軽く言うじゃないのよ。
「でもさ、これどうすんの?」
「成分分析してよ」
「なんでだよ・・・分析忙しいしさ、今、日本海側の油田の話し知ってるだろ?それで忙しくてやってらんないよ・・・」
「オネガイシマス」

と言う事で、一週間ほど入院することになりました。


結果はどうであれ、日本各地から集まった今回の日本海ツアーは無事に終了となりました。新潟をセッティングしてくれた淳司さん、小松でBBQを自宅でしてくれた武司さん、本当に有難う御座いました。

そして、参加した皆さん、お疲れ様でした。


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